六本木アートナイト Roppongi Art Night

ステイトメント

TRIP→

眠るまでが今日
起きると明日
今日と明日の間に夜がある
今日が明日になるのを目撃せよ!
暗闇があるからこそ想像力が生まれた
闇から生まれるアートの力
闇は時間を超越し
アートも時間を飛び越える

六本木アートナイトは
アーチストたちの船が
六本木の港に寄港する夜
想像の世界からの宝が船に乗っている

自分の船を巡らせて
アーチストたちの宝を
積み込みに行こう。

六本木アートナイト2013
アーティスティックディレクター 日比野克彦 プロフィール

1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学大学院修了。
1980年代に領域横断的、時代を映す作風で注目される。作品制作の他、身体を媒体に表現し、自己の可能性を追求し続ける。1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。2003年、越後妻有アートトリエンナーレで「明後日新聞社文化事業部」を設立、明後日朝顔の活動を開始。2005年水戸芸術館「HIBINO EXPO」、2006年岐阜県美術館「HIBINO DNA AND」、2007年金沢21世紀美術館「『ホーム→アンド←アウェー』方式」、熊本市現代美術館「HIGO BY HIBINO」など個展を開催。館内の展示室だけでなく、地元地域の人達とも活動した。明後日朝顔の種が人と人、地域と地域を繋げていく様子から“種は乗り物のようだ”と着想、《種は船》を金沢・横浜・鹿児島・種子島などで造船する。
2010年からは3カ年計画にて舞鶴で造船し、2012年には新潟へ航海した。瀬戸内国際芸術祭では、海の底の時間に注目した《瀬戸内海底探査船美術館プロジェクト》を展開。2010年サッカーW杯南アフリカ大会ではサポーターと作ったMATCH FLAGを届け、スタジアムをスポーツとアートの交流の場とした。受取り手の感受力に焦点をあて、各地域の参加者と共同制作を行い、社会で芸術が機能する仕組みを創出する。現在、東京藝術大学教授、日本サッカー協会理事。震災後、復興支援活動「HEART MARK VIEWING」を立ち上げ、人と人を繋ぐ試みを行う。

六本木アートナイト2013
キュレーター 清宮陵一

1974年、東京生まれ。
2001年に音楽レーベル「vinylsoyuz」を設立。2006年、国内最先端の音楽家による即興演奏とインタビューを織り交ぜたドキュメンタリー《BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS》をプロデュース。以降、同名のライブイベントを国立科学博物館、後楽園ホールにて主催。近年では《正しい相対性理論》《Open Reel Ensemble》《スガダイローの肖像・弐》等の作品を制作。2010年より地元、両国にて地域音楽祭「ほくさい音楽博」を立ち上げ、ご近所を巻き込みながら活動中。2012年より「東京アートポイント計画 音まち千住の縁」ディレクター。

(撮影:森孝介)

六本木アートナイト2013
キュレーター 小川希

1976 年、神楽坂生まれ。
2001 年武蔵野美術大学卒。2004年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2002年から2006年に亘り、大規模な公募展覧会 「Ongoing」を、年一回のペースで企画、開催。その独自の公募システムにより形成したアーティストネットワークを基盤に、2008年に吉祥寺に芸術複合施設Art Center Ongoingを設立。現在、同施設代表。また、JR中央線高円寺駅〜国分寺駅区間をメインとしたアートプロジェクト「TERATOTERA(テラトテラ)」のチーフディレクターも務める。

(撮影:細川葉子)

街に影響され、時代を反映させた、六本木ならではのアートの祭典を。

―「六本木アートナイト2013」での日比野さんの役割は何だったんでしょうか?

アーティスティックディレクターというのは新しいポジションで、これまでの六本木アートナイトにはなかったんですけれども、よりアーティストの視線で、1つの六本木アートナイトというものをプロジェクト化、作品化することを念頭に置いて、構築していく役割を担いました。

―六本木アートナイトでやろうとしていることは何ですか?

六本木という地名は日本中の人たちが知っている、“繁華街”という印象がありますよね。防衛庁があって、歓楽街で、という。それが森美術館を抱えた六本木ヒルズができてここ10年ぐらいで、国立新美術館ができて、そしてサントリー美術館のある東京ミッドタウンがやって来ましたよね。大きな美術館が3つ、そして21_21 DESIGN SIGHTというデザインスペースもできて、それまでの六本木のイメージとガラリと変わったと思うんです。それをきっかけにして、六本木のイメージを新たに作っていこうということで始まったのが六本木アートナイト。僕も六本木に住んでいた時代があって、六本木の変遷も見てきているし、六本木アートナイトは1回目からアーティストとして、参加させてもらってきて、途中、東日本大震災を挟んでアートの役割とか、地域発信の役割というものもどんどん変わってくる中で、その時代を反映していって、ひとつの東京の大きな街、六本木というものがアートを切り口にして発信していこうというのが今回の大きな目的だと思います。最近の美術の特徴は二分しているところがあって、ひとつは、ホワイトキューブの美術館を想定して、全世界の美術館で同じ展覧会を同じ条件で見せる、という時間に左右されない美術というのがある。もう一方で、場に影響される美術というのがある。いい意味で言えば場の力を作品に引っ張り出していく、その時の出会いを大事にするというような、美術館がやろうとしていることと全く真逆の美術と言うものが、ここ20年くらいで盛んに求められている。例えば、日本でも、新潟で越後妻有の棚田を利用して開催している「大地の芸術祭」しかり、瀬戸内の島や海を利用して開催している「瀬戸内国際芸術祭」しかり。場の持っている力を活用できるアーティストたちがその場所に滞在して、場所と出会って、場所を活かした作品を作り出していく。それぞれが山や海と自然の場を利用するんだったら、僕ら東京は“繁華街”でしょ、みたいなことで六本木アートナイトは場の力を活かして、進化していけばいいと思っています。

価値観を変換させてくれるのが、アートの魅力である。

―今回、テーマとして『TRIP→今日が明日になるのを目撃せよ。』と掲げられています。

アートの一番の魅力というのは、価値観が変わっていく、価値を変換させるというのが、アートの魅力だし、力だと思うんですよね。1枚の紙切れなのに、そこに描かれている線や色があるからゆえに、何か自分の中で衝撃が走る。ひとつの塊なのに、そこに施されている造形で、違う時間帯に自分を誘ってくれる。そんな風に価値観を変換させてくれるのがアートの魅力だと思うんですよね。今回のテーマ『TRIP→今日が明日になるのを目撃せよ。』は、その価値の変換を言い表している。僕たちには、必ず日が暮れて、夜になって、次の日がまたやってくるトリップ感を、毎日重ねている。そのトリップ感をなぞらえて、“今日が明日になる”と言っている。今日が明日になる間には夜というものがあって、夜というのが何か。夜って、あっという間に朝になったりとか、何か寝れない夜は、すごく長く感じたりとか、暗闇の中で、寝床の中で、“1年後どうなっているんだろうな”とか、“ああ、5年前、あんなことがあったな”とか、時間があっちに行ったり、こっちに行ったりできる暗闇の時間があったりとか。けれども、必ず太陽が昇って夜明けがくる。現実にふと帰って、“ああ、そうだ、そうだ、会社に行かなきゃ”で、外へ出かける。その繰り返しなんですよね。

時間が移ろいでいく様子を、アートを介して共有していく一夜。

その夜の時間の、時間に束縛されない、時間があっち行ったりこっち行ったりするという、その想像ができる時間帯と、アートというものが時間を超越しているというものと、夜の性格とアートの性格って、僕、何か似ているなと思うんですよね。六本木アートナイトっていうのは、1年のうちの一夜だけそういう、普段はいわゆる個人個人が布団の中での想像する時間なんだけれども、あたかも大きなお布団の中にみんながいて、みんなが夢を語り合って、時間があっち行ったりこっち行ったりしているような、そんな時間が六本木アートナイトになればいいなあ、と思って、このテーマにしたんですよね。けれども、必ず朝5時何十何分には、気象庁の予告どおり、夜明けがやってくるんだけれども、でも、その瞬間というか、そういう時間が移ろいでいく、価値が何か変わっていくときを体感する、目撃するということが今回のアートナイトの一番大きなテーマと言えると思います。その意を込めて『TRIP→今日が明日になるのを目撃せよ。』というコピーをつくりました。

《TRIP→プロジェクト》

東北の炭が燃料となった灯台が、道しるべとなり、人々の心を暖める。

六本木ヒルズアリーナに、日比野克彦による“灯台”モニュメントが登場する。この灯台は、「六本木アートナイト2013」の道しるべ。灯台の頂部と、ガラスで出来た胴部の中で、時折火の粉が揺らぎ、落ちていく。地球が持つ未曾有の力への畏怖と畏敬を表現している。燃料となっているのは、岩手県陸前高田の街で、東日本大震災の津波による被害を受けた塩害杉から出来た炭。陸前高田の炭焼き小屋から六本木に運ばれてきたものだ。「六本木アートナイト2013」が開催されている間、夜から朝へ、今日から明日へ、ゆっくりと流れる時間と移ろい行く時間を照らす灯台の明かりが、人々の心をゆれ動かし、暖める。

夜ならではの“灯り”の尊さを、東北から持ってきた炭から感じる。

―「六本木アートナイト2013」では、灯台とフネ、そしてポート(港)というモチーフが使われています。その意図は何だったのでしょうか?

昨年のアートナイトもそうだったのですが、テーマのひとつに“震災との関係性”があります。とても重要で、大事にしなければいけないメッセージです。今年のアートナイトについて考えたときに、“灯り”の周りに人が集まり語り合うという、夜だからこその“灯り”の尊さを表現したいとアイディアが浮かびました。そこで灯台をつくって、そこで灯す“灯り”のもとを東北から持ってこよう、と思いついたんです。
そこから、伊東豊雄さんに相談させていただいて、塩害の木の炭が六本木の“灯り”となるに至ったんです。“灯り”の下にみんなが集まって、「この灯りはね」とか、「東北に行ってきてね」という話をいっぱいしてもらえるといいなあと思っています。今年の六本木アートナイトの1つの大きなメッセージとして、“ここにいるけれども、東北のことを思う、今日が、そして明日になっていく”ということを実感として、体感として、味わってもらえるような、六本木アートナイト自体をひとつの作品にしていきたいなと思っています。

旅が人間を進化させてきた。移動手段の船をモチーフに。

―今回灯台が照らす会場を行き来する道具“アートブネ”について、教えてください。

今回の大きなテーマ、TRIPというのは旅行、つまりここから向こうへ、こちらからあちらへという、人間の移動のことですよね。人間がこうして進化してきたのも旅をしてきたからだし、僕が自分の中で、価値観を形成してきたのも、知らない土地に行って、知らない人に会って、違う文化に出会ってきたからだという思いがあるんです。やはり“移動する”というのは、とても大事なことだと思うんですよね。そういう考えのもと、自分の作品でも移動手段として船というものをよくモチーフに使ってきました。以前、岐阜で12隻の船を作ったのですが、そのうちの10隻を今回参加するアーティストたちに発表の場として提供しました。各々、船を装飾したり、船をステージとしてパフォーマンスをするということをやってもらおうと思っています。それが、“アートブネ”です。

―“アートブネ”に参加するアーティストに求めているものは何でしょうか?

2人の作家が一つの船で出会うのもありだなと思ったので、キュレーターチームに話をして、面白い組み合わせになるようにアーティストを出会わせました。あとは、時間軸で表現できる作家を選びました。

六本木の街中で共に飲み、語らう、アーティストと共有する一夜。

―大勢の作家が六本木に集まることが、アートナイトに高揚感を与えています。
アーティストが集まるこの特別な夜を、どのように楽しんだらいいでしょうか?

3つの拠点に“アートブネ”を停泊させているので、そこを行き交う人々がお互いに誘われて動いていくようになります。あとは、六本木の商店街で寄り道ができるように、商店街の複数の店で《六本木夜楽会(ろくほんもくよらくえ)》というイベントを開き、アーティストと出会える場を作りました。アートナイトが開催される3月23日、24日は、夜はまだまだ寒い。街中で作品を見て回って「何かあったかいものが飲みたいね」となったときに、「六本木の○○というお店には、〜〜というアーティストが自分が旅先で得た宝物の話をしているらしいよ」、「じゃあそいつの話を聞きに行くか」という具合に商店街のお店に入り、アーティストの話を聞いて、また六本木の街に出てパフォーマンスを見ていける。一晩で、いろいろな回遊ルートを楽しんでもらえるようになっています。

《アートブネプロジェクト》

夜の街へと誘う、巨大な“アートブネ”。

期間中、六本木中に巨大な“アートブネ”が展開される。2012 年の岐阜国体の式典のため、日比野克彦と県民の方々が制作した《清流こよみぶね》。この船をベースに、参加アーティストが思い思いの装飾を施し、展示を行ったものが“アートブネ”だ。時には舞台装置となり、あらゆる場所、あらゆる時間に演目が展開される予定。空間/時間の移動装置となり、観客を六本木の夜の街に誘ってくれる。

一地域としての東京の魅力を、アートナイトで表現していく。

―例年以上に、スポットに限らず六本木エリア全体を楽しめそうなイメージですね。

3つのスポットが盛り上がっていても、途中に何もないと移動が億劫になってしまうので、途中に“アートポート”という屋外インスタレーションを用意しています。あとは参加者に提灯を持って歩いてもらえば、行き交う人々の賑わいがパレードのように見えてくるのではないかと思っています。歩いているだけでも、昼に見られる姿とはまた違う、アートナイトならではのアイコンが見えるというのがいいですね。

―アーティストにとって、東京という街は制作・創作しやすい場所なのでしょうか?

“東京には情報が集まっているから、東京がいいに決まっている”という時代もあったけれど、今はもうそうではないですよね。一地域としての東京の良さを知るには日本全国各地域のことを知らなければいけない。アートには“絶対”はありません。比較して見えてくるものです。例えば数学の場合“1”は絶対的に“1”だけれど、美術の場合“赤”というのは、いくら自分が“これって絶対赤だよな”と思っても、横にもっと赤い色がくれば、“これって茶色だったんだ”となることがある。自分がずっと大切にしてきた緑が、50年後に見ると“あれ、こんな色じゃなかったはずだ”ということだってあるはずです。東京にいても地方にいても海外にいても、“これは東京になくて田舎にあるんだよ”ということを知るには東京を知っていないといけない。僕は岐阜県出身なのですが、僕らの時代は“岐阜にないものは東京にある、東京にないものは海外、ニューヨーク、パリ、ロンドンにある”という指向性がありました。けれども、最近岐阜の20代、30代と話していると、都会との対比ではなくて、地元の地方性・独自性をより活かしたいという価値観で動いているんですよ。時代の変化を感じましたね。

《アートポート六本木》

見慣れた街並とアートが出会ったら。

六本木の街中各所に、“アートポート”が出現。六本木交差点や東京ミッドタウン西交差点付近、龍土町美術館通り、芋洗い坂、六本木ロアビルなど六本木の街角で、若手アーティストたちが、映像、インスタレーション、立体、パフォーマンスなど多種多様な表現を展開する。見慣れていた風景が、アート作品と出会い思いもよらない変貌を遂げるその様子は、新しい発見や驚きをもたらすだろう。

時間を超越していくアートの魅力、被災地で感じたその大切さ。

―“アートと社会”、“アートと世界”ということに関しては、最近変化を感じたことはありましたか?

“ ある情報を持っている人がより理解できる”とか、“訓練をして技術を持っている人が表現できる”というアートももちろんあるわけですが、僕は“日常のなかに普通にあるアート”というのも必要だと思っています。自分のアーティストとしての役割は、そういった場を設けたり、そのことに気がつく場を作っていくということだと思っています。震災は、一瞬で家や人を連れ去っていきました。そんなとき被災者は“先の事も考えられないし、過去の事も振り返りたくない”という“今が今しかない”という状況に追い込まれるわけです。本来、“昨日こうだったから、明日はがんばってみよう”といった風に、自分のなかで時間を行ったり来たりできるから生きて行けるのだと思う。震災からひと月程経ってから、被災地で被災者の方と一緒に“ものをつくる”ということをやりました。物を作っているとき人は、“ここに何色を塗ろうかな”とか“何の生地を使ってこの模様を作ろうかな”とか、手を動かして、時間を超越して考えることができる。想像してそれに向かって動けば形になる、という当たり前のことを体験するお手伝いができるのがアートです。それは例えば文学にしろ、音楽にしろ、芸術全般に言えることだと思うのですけれども、“時間を超越する”ということをさせてくれるのがアートの魅力です。震災という大変な経験を経た人にも、アートが日常生活の中で役に立つことがあるだろうし、もっとアートが日常で機能するようなシーンを作っていけなければいけない。そうすることで次の時代を動かせるのではないかと思っています。

《六本木夜楽会(ろくほんもくよらくえ)》

アーティストや各界のプロフェッショナルが六本木に大集合する特別な一夜。

六本木のまちなかでアートのイベントと共に夜が深けていくなかで、アーティストと空間を共にし、語らい、食事やお茶ができる《六本木夜楽会》が開催される。六本木の飲食店各店を舞台に、大勢のアーティストが参加し、それぞれクロストークが展開される予定。

人とのコミュニケーション、伝えたい気持ちで作品を作り続ける。

―日比野さんが作品を作り続ける原動力はどこにあるのでしょうか?

人との出会いでしょうか。“孤高のアーティスト、わが道を行く”という世間と縁を切って自分の美学を追及するというのは自分にはできないと思います。人に伝わったときに、僕の表現はそこに初めて成立するもの。他者がいないと絵を描く理由がないのです。自分のものを作るエネルギーは人と接すること、コミュニケーションがあるからこそですね。アートって不思議なもので、糸となっていろいろなものを繋いでくれる。例えば、海に潜って感動して、サッカーをやって感動して、一見違う価値のあるものを自分なりに昇華させて作品化する、メッセージとして伝えるということですね。テーブルの上に色々なものを並べたら、1つずつ磨き上げるというより全てを編み込んで見せる、というイメージです。美というものはすべてのものの中にある。作家の中にも、海の中にも、考古学の中にも、地質学の中にも、人間関係の中にもある。“美”という共通項の網目を狙いながら糸を通していっているんです。

―今回のアートナイトでのヒビノカップについては、何がきっかけで開催に至ったのでしょうか?

六本木中学校と森美術館は、建物自体は隣合わさっているのにこれまで接点がなかったんですね。学校と六本木ヒルズは領域が違うけれど、アートがそれを繋いでいく。中学校、美術館、それらが合わさっているのが六本木だよと伝えるためにも、アートが万能テープになってくれるのです。

文:伊藤総研、撮影:森本菜穂子