六本木アートナイト Roppongi Art Night

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日比野克彦が考える、これからの六本木アートナイト。

―最後に、今後の六本木アートナイトについて、どうなっていくといいと思いますか?

この段階になったからはじめて言えるけど、大きく言うと、新しいアートの可能性を確立するところまで持っていきたいなって思います。何度も言っているように、自分が80年代からこういう仕事をやってきて、発表の場が、美術館からギャラリー、そして、街に広がっていった。その場は商業的なデパートメントだったり、ウォールペイントだったり、雑誌も含めてタウンマガジンだったり。あとはカフェ、バーとか、そしてファッションも。僕はペインティングもデザインもプロダクトも内装も大体のことはやりました。それすべてを含めて、自分のアートだと言ってきた。でも、世の中には、見えないそれぞれの領域があるわけですよ。でも、僕だけでなく、同時多発的に、それを横断的に横串差して、ますますボーダーレスになっていく流れがある。街の様相だったり、国のカタチだったり、時代の表現だったり、すべて混ざり合って、ひとつのものとして見えはじめている。それが、これからのアートだと思うんです。とはいえ、いままでの伝統工芸はなくならないし、旧来のものは存在しながらも、ボーダーレスで型破りな表現が今、やっと30年ぐらいかかって見えてきた。アートプロジェクトは、空間、人間、モノ、そして時間全部含んでプロジェクトって呼んでいる。でももう一方で、地域におけるアートというものが、どれだけ機能しているかの評価基準がまだない。たとえばオークションで絵がいくらで売れましたはすごくわかりやすい。

六本木アートナイトが強くなって、ここが発信地になる。

流通のための博覧会があって品評会があって。経済と結び着いた評価がある。しかし、アートプロジェクトというのはまだ評価基準がない。当然、売買するものでもないし。でも、こういう状況になってきたからこそ、みんながそれを求めているんじゃないかと思うんです。震災の後にみんなが動いたでしょ? あそこに貨幣的なものは求めてなかったと思うんです。今の時代を生きる人たちは、ペイドされるものとペイドされないモノ両方ないと嫌ってくらいになってきている。自分の時間全てがペイドワークにしてほしくない世代になってきている。ちょっと前だときちんと働いて、アフター5は自分の余暇に、お金をつぎ込んでいたと思うけど、今はもうそういう価値じゃない。だから、そういう自分たちの時間を有効に価値観を見つけて動いていく人たちが集まっているアートプロジェクトがどう評価されるかっていう時に、金銭的ではなく、何で評価するのかを早く見つけないといけないと思っています。難しいけど、どこかで数値化しないといけない。アンペイドだけど、どこかで予算付けされてるわけですよ。それがないと、まだまだモノゴトを決めている行政をはじめとした大人の社会は認めてくれない。作家の展覧会だけじゃなくて評価の舞台をキチンと構えていくスタイルを作っていければ、「アートナイト」がもっと強くなって、ここが発信地になる。1日だけというのも評価、リサーチしやすいし。入場者数という数値もでてくるけど、他の数値も探っていきたいと思います。そうしないと、なんか非日常の空間ができて楽しい夜だったね、で終わっちゃうから。

文:伊藤総研、撮影:森本菜穂子